第6章 自然と風景
第6章 自然と風景
ウィルダネスー迷路の中へ
wildernessとは
unsettled, uncultivatedな自然状態のままの地域(アメリカン・ヘリテージ辞典)
人間の関与性, 人為性が排除された野生状態の土地=自然のこと
純粋自然(本物の自然)は「原始の, 飼い慣らされていない, 永久に飼い慣らせない自然」
Mother natureではなく, Matter natureなのだとする
人間が関与しない純粋な自然状態を新しい価値として提起
ロデリック・F・ナッシュ『ウィルダネスとアメリカ精神』
環境歴史学の展開に大きな功績
「なぜウィルダネスか?」というエッセイにおける「なぜ私たちはwildernessを愛すのか」
科学的価値・精神的価値・美的価値・遺産価値・心理的価値・文化的価値・固有の価値(脱人間主義的)
ウィルダネス志向の20世紀バージョン
ユタ州のキャニオンライズ国立公園にあるThe Mazeという地域の探検 未踏の地としてのwildernessが存在するという確信もしくは希望の表明
人間的な秩序の及ばない空間としてのwildernessへの強烈な願望
自然の他者性
始原のアメリカの探求という伝統
wilderness ereaは全国土のほんの2〜3%である
国立公園ー自然観の変遷
アメリカは国立公園発祥の地である
風景の「発見」
新世界独自の価値を秘めた「アメリカなるもの」を具現する風景としての意味
国家的風景としてのwildernessの保存を目指す動き
生態系の保護のために設置されたのではない
アメリカ国家を象徴する記念碑的景観の保護が目的
だからこそ, 利用価値のない場所が選ばれた
ヨーロッパへの意識
旧世界への憧れ
初期の国立公園の広告では, スイスアルプスを連想させる仕掛けが用いられている
ヨーロッパとの違いを強調することで国立公園の風景を国家的アイコンに仕立てようとした文化的心性が, ヨーロッパとの類似性を全面に出すことによってアメリカ的価値の向上を狙っていた
アメリカ的価値・アメリカ的風景
先住民の中には, 居住地が公演指定を受けて立退をさせられたものも そもそも, 都市からかなり離れた国立公園で自然を楽しめるのは金銭と時間に余裕のある人々のみである
アメリカの国立公園の歴史
ジョン・ミューアの活動
人間にとって有用か否かではなく, 自然の内在的価値に重きを置く自然観の普及に努めた
風景の保護ではなく生態系保護を目的とする国立公園構想の打ち出し
アラスカの土地利用をめぐる議論
それまで国立公園では人の居住が認められていない
先住民の文化の消滅がこの時危惧された
先住民の土地利用と環境保護との関係への関心
暮らしの流儀や知恵が自然保護に果たす役割が認識
開発と保護の間
国立公園内にwilderness地域が指定されるケースは比較的小規模の公園に限られる
2001年の同時多発テロ以降, 原油自給率の向上を旗印にアラスカの野生生物保護区内での原油採掘を求める声も 生態地域主義
bioregion
「生物」を意味するbioと「地域」を意味するregionが結びついて生まれた言葉
bioregionalism
自然のままにエコロジカルなコミュニティを構成する場所や地域(ランダムハウス英語辞典)
生態地域主義
政治的に分割された「地域」ではなく生態系を基礎にして境界を定められた地域を生活の中心にすえることを提唱
草や樹木, 川などによる分割
新しい文化運動
人間と自然, 人間と場所について考えながら新しい生き方を追求しようとする思想
用語としての定着
『タートルアイランド』
生態地域主義的な考え方が表出された最初の文学作品である
北米大陸の再編方法を示す
アメリカ大陸を自然の境界線に従って分割し, 大陸を生態地域を基礎として再編することで国家内部の政治的境界を否定
自立した生態地域を連ねることで国家を消滅させようとするアイデア
decentralism
近代文明の中央集権化に対する批判
「アメリカ」は異邦人に因んでヨーロッパ人が考案した名前であり, 「タートルアイランド」(アメリカ先住民による)を受け入れることがヨーロッパからの精神的な独立を意味するのではないか
序文はヨーロッパからの心理的・文化的独立宣言
アメリカの再定義
スナイダー
「我々はどこにいるのか」
人間は生態系の相互依存の網の目の中で生きる存在
自らの住む場所を発見し, そこに住み, その場所に対する責任を担うことの要求
伝統的なアメリカ人の生き方に対する批判
「非先住民」の大半は都市から都市へと移動する「ルーツレス」な人々
大陸を本当に知るためには生まれ変わらなければならない
動物ー「馬」と西武開拓
アメリカ大陸入植が動物の虐殺の始まりでもある
先住民虐殺, 動物虐殺に重要な役割を果たした「馬」
ヨーロッパから持ち込まれる
西部開拓の危険性
莫大な労力と膨大な時間, 身の危険
映画『駅馬車』など
馬が中心として登場し, 馬が介在して初めて成立しうるプロットを持っているため, 西部劇は「ホース・オペラ」とも呼ばれる 現在でも, アメリカ人の心には馬がいる
古き良きアメリカへの郷愁, 未来への夢
自分の未熟さと対照的に幌馬車の一帯を扇動し西部開拓を果たした祖父に対するどこまでも深い敬意と憧憬
西部開拓の興亡の歴史が馬の躍動と消失とともにアメリカ大衆の心に息づく
都市ーそのダイナミズムを見つめて
人々を呼び集める人工空間としての都市
9.11が明らかにした, 巨大都市ニューヨークがたえず流入してくる多様な人々によって支えられている事実 アメリカにおける都市の成立・発展と労働力となる移民お流入
新移民
新天地としての都市
多様な文化的背景を持つ人々の流入
活気と解放性
セオドア・ドライサー『シスター・キャリー』
都市は富や華やかな消費生活の夢を見させる希望あふれる場所であると描く
摩天楼の人口性あらわな景観, 新たな生命体としての都市
ベレニス・アボット「変わりゆくニューヨーク」
変貌を続ける都市の姿を伝える
都市の暗部
スラム街, 犯罪や暴力
ウィージー「裸の街」
ジェイコブ・リース「世界のもう半分はいかに生きているか」
表現者の活動
19世紀末に発展したジャズはシカゴ, ニューヨークなどに伝わって発展 郊外の発展
白人中産階級の排他的ブルジョアユートピアという限界
貧富や人種の境界が都市や郊外で強化
1950年代以降, 郊外への人口流出に伴い都市内部が衰退し, 環境が悪化 ジョン・ガルブレイス「豊かな社会」
貧困や不平等の問題が新たな形で進行
表現者の活動
ブルース・デイヴィッドソンが撮影する黒人の生活
風景ー生きられる風景
風景とは
人間主体概念の誕生と相まって近代に誕生
歴史的にはまず絵画を通して発見された概念
人間主体が見る対象, 客体として発見され, 描かれた
アメリカの風景画運動
人間のスケールを超える広大な風景を求めて画家・写真家は西へ向かう
ティモシー・オサリヴァン
ウィリアム・ヘンリー・ジャクソン
アンセル・アダムス
背景には人間の自然の破壊, wildernessを深く傷つけた現実
拡張する風景
人間を阻む手付かずの自然という風景観が現実に見合わなくなってくる
風景の指し示す内容は次第に拡張
第二次世界大戦後, 郊外建設が進み人工物と自然が不可分となった一つの風景を作り出した モータリゼーションの発展によって, 車窓風景の感覚が生まれる
拡張する風景を描く=そこに生きる人々の日常をも描く
郊外風景の表現
画一化された平板な郊外風景を背景に, 人々の欲望, 不安が増幅され浮き彫りに
レイモンド・カーヴァー「大聖堂」
デヴィッド・リンチ「ブルー・ベルベット」など
ヴィジョンとしての風景
スチュアート・ブランド
NASA撮影の地球の写真の公開運動
地球に生きる共生のヴィジョン
風景の意味の変遷
人間主体もそこに生きる場
リチャード・ミズラック「狂気の遺産」
風景の破壊と人間の破壊
テーマパーク
テーマパークとは
ディズニーランドの登場後, これまでの遊園地の概念では説明できない特徴を表現するために作られた
出発点はディズニーランド
清潔で安全で整然としたユートピア環境
綿密な建築プランに従って作られ, 管理されている空間
象徴的な空間でもある
「ソーシャル・アートワーク」
場所と時間の超越, シンボリックな四次元風景
文化的物語を包括的かつ象徴的に体験させる多層空間
「ソーシャル」な機能の強化
個人的な快楽よりも, 人と人の絆の形成の側面
テーマパークの系譜
ロンドンのプレジャーガーデン
シカゴ万国博覧会「ホワイトシティ」
テーマパーク誕生の時代的背景
大量の移民流入, 黒人の北部大移動による急速な都市化と, 白人の郊外流出
新しい環境に意味を見出し, そこに馴染む努力が行われていた時期
五感を通じて人と人が繋がる場としてのテーマパーク
公共スペースがいかにあるべきかの追求
日常生活への浸透
我々が住んでいる現実世界も「テーマ化」されてきている
個性に欠ける同質的なデザイン, 完全に管理された環境を生み出すとの批判
日常生活との区別の困難
石のモニュメント
墓碑
刻む=語る行為が歴史形成の源
ジェームズ・ディーツ
図象の変化を考察
骸骨から天使, それから柳の木へ
個人の記録が集団の嗜好と傾向を示し, その変化は正統派ピューリタニズムの衰退からより大きなピューリタン社会・文化への変化でもあるとの指摘